アルツハイマー病は、100年以上前に、ドイツの神経学者であるアロイス・アルツハイマー博士によって発見された病気です。
アルツハイマー病は、脳内に、β-アミロイドが蓄積し、脳神経細胞を死滅させてしまうことが原因と考えられています。
最近、アルツハイマー病は、糖尿病患者には、非常に発症率が高い合併症であることが認知されつつあります。実際、九州大学久山町の研究によりますと、日本人糖尿病患者の脳梗塞、心筋梗塞の発症リスクは、それぞれ、1.9倍、2.1倍に対し、アルツハイマー病の発症リスクは、なんと4.6倍と非常に高いことが報告されています。
それでは、何故、糖尿病患者に、アルツハイマー病が多いのでしょうか?それは、糖尿病とアルツハイマー病の病態が、密接に関係しているからです。第1番目の理由として、糖尿病のコントロールが悪くなると、高血糖による酸化ストレスが増え、脳の神経細胞が死滅しやすくなります。特に、脳の中で、弱いのは、酸化ストレスに対する防御機構が弱い領域、すなわち、記憶に密接の関係する海馬であることが分かっています。そのため、糖尿病では、脳全体の中で、まず、海馬の神経細胞が死滅し、認知症が発症してくるわけです。
第2番目としては、インスリンが脳神経細胞死(特に記憶に関係する海馬の神経細胞死)を防いでいるからです。膵臓から分泌されたインスリンは、血液脳関門や脳室周囲器官を通って脳内に入っていきます。海馬には、インスリン受容体が豊富に存在し、インスリンは、海馬の神経細胞死を防いでいます。また、脳内のインスリンシグナルは、アルツハイマー病の原因物質であるβ-アミロイドの蓄積を防ぐ方向に働いています。しかし、糖尿病状態で、脳内のインスリンシグナルが障害されると、海馬の神経細胞死が増加して行きます。さらに、β-アミロイドの蓄積が増えて、さらに、海馬の神経細胞死が増加するという悪循環に繋がっていきます。
第3番目としては、糖尿病状態での海馬でのRAGEの上昇がさらに、アルツハイマー病発症を加速化します。RAGEとは、最終糖化産物(AGE)の受容体のことです。RAGEは、糖尿病性網膜症、腎症、神経症等の合併症と密接に関係していることはよく知られていますが、海馬でのRAGEは、β-アミロイドの運び屋としての役割を担っています。即ち、健常な状態では、脳内に、β-アミロイドが蓄積し始めても、それを末梢に汲み出す機構が備わっていますが、脳内でRAGEが増えますと、末梢に汲み出されたβ-アミロイドは、RAGEと結合し、脳内に逆移送されます。結果的に、脳内に、β-アミロイドが非常にたまりやすい状態になっていくわけです。
これらの病態から、糖尿病とアルツハイマー病は密接に関係しているのです。最近よく引用されるBiesselsの図を使ってまとめてみますと、糖尿病では、酸化ストレスが亢進し、AGE-RAGE系が活性化されると伴に、脳内のインスリン作用不足・インスリン抵抗性から、β-アミロイド代謝が破綻し、β-アミロイドが蓄積することにより、アルツハイマー病発症に繋がっていくと考えられています。
一方、アルツハイマー病の診断方法には、目覚ましい進歩があります。特に、画像診断の進歩は著しく、VSRADを利用した海馬領域の萎縮の客観的な評価や、脳内のアミロイド蓄積を生きている状態で確認できるアミロイドPETという方法が盛んに行われるようになってきました。実際、Ikonomovicらにより、このアミロイドPETで撮影されるβ-アミロイドの程度や分布が、死後解剖した脳のβ-アミロイドの程度や分布とよく一致していたことも報告され、非常に感度の高い方法であることが分かってきています。アミロイドPETは、現在、アルツハイマー病の早期診断に非常に有力な方法として、日本のみならず、全世界で、ADNI研究として、研究成果が続々、報告されてきています。
その中で分かってきた、非常に驚くべきこととして、脳内では、非常に早い時期からアルツハイマー病の変化が起きているということです。アルツハイマー病発症の20年以上前に、既に、脳内にはβ-アミロイドが蓄積している事、即ち、60歳でアルツハイマー病を発症するとなると、40歳ころから既に、脳内では、β-アミロイドが蓄積していることが分かってきています。また、アルツハイマー病の症状の全くない健常人でも10-20%の人に、β-アミロイドが蓄積しており、将来のアルツハイマー病の発症リスクが高いことも報告されています。即ち、アルツハイマー病の脳内変化は20年以上前から既に始まっており、いかに早く診断し、治療に結びつけるかが重要ではないかという考え方になってきています。
しかし、現在、アルツハイマー病の研究は、盛んに行われていますが、アルツハイマー病に有効な、根本的な治療薬はまだ見つかっていません。現在、臨床的に使用できるのは、進行を遅らせるだけのアセチルコリンエステラーゼ阻害薬、NMDA受容体拮抗薬しかありません。それでは、糖尿病の観点からできるアルツハイマー病に有効な治療法はないのでしょうか?実は、色々な治療法があります。まず、第1番目には、低血糖を起こさせないことです。低血糖を繰り返し起こす場合は、低血糖が全くない場合と比較すると、約2倍認知症の発症リスクが高まると報告されています。第2番目には、糖尿病コントロールを改善させることです。HbA1c7%以上で管理されている方では、認知症の発症率が急激に高くなり、約半数の方が5年間に認知症を発症することが報告されています。第3番目には、食後血糖の管理、血糖の日内変動を少なくさせることが重要であると言われています。Wangらのin vitroの実験では、海馬の神経細胞は高血糖、低血糖に非常に弱く、β-アミロイドが蓄積し始めると、血糖300mg/dl以上の高血糖では、死滅しやすくなること、逆に、血糖100mg/dl以下でも死滅しやすくなることが分かっています。九州大学久山町の研究でも、糖尿病患者の脳内のβ-アミロイド蓄積が、食後高血糖と有意に相関していたこと、Rizzoらの報告では、血糖日内変動が激しいほど認知機能は低下することが報告されています。これらをまとめますと、糖尿病の観点からは、低血糖を起こさせないようにすること、血糖コントロールをHbA1c7%以下を目指して管理すること、また、食後高血糖を厳格に管理することがアルツハイマー病発症を予防するために重要ではないかと考えられてきています。
そういう観点から、低血糖の危険性が少なく、HbA1cと同時に食後高血糖の管理ができる糖尿病薬として、最近、盛んに使用されているDPP-4阻害剤があります。実際、動物実験レベルではありますが、DPP-4阻害剤使用により、脳内のβ-アミロイド蓄積を防ぐことが出来、記憶学習効果が高まったとの報告がいくつか見られてきています。
さらに、注目すべき糖尿病薬としてGLP-1受容体作動薬があります。最近の研究では、ヒトの海馬の神経細胞は、再生能力をもつこと、また、海馬には、色々な細胞の基になる神経幹細胞があることが分かっています。即ち、海馬の神経幹細胞を活性化させれば、海馬の神経細胞が再生し、認知症の治療に役立つかもしれないとの発想が出てきたわけです。糖尿病状態では、この海馬の神経幹細胞の発現が低下し、再生能力が衰えている状態になっていることが分かっています。しかし、動物実験レベルでは、糖尿病薬としてのGLP-1受容体作動薬は、末梢から投与すると、海馬の神経幹細胞を増加させる作用があること、さらに、神経新生を促す作用、ひいては、記憶学習効果を改善させる作用があることが報告されています。また、β-アミロイドの蓄積を防ぐ効果も報告されています。即ち、GLP-1受容体作動薬は、海馬の神経細胞を再生させるのと同時に、β-アミロイドの蓄積を防ぐため、認知症の治療薬としても使えるのではないかとの期待が出てきたわけであります。
また、別に、インスリン抵抗性改善剤によるアルツハイマー病の改善効果の報告も多く見られて来ています。実際、アルツハイマー病は、インスリン抵抗性とも密接に関わっている事が報告されています。Matsuzakiらによる久山町研究でも、インスリン抵抗性が強いほどβ-アミロイドが蓄積しやすいこと、Willetteらは、インスリン抵抗性が強いほど脳萎縮が進行しやすいことを報告しています。インスリン抵抗性改善剤の一つとしてピオグリタゾンがありますが、松沢ら、佐藤らの報告では、ピオグリタゾンを糖尿病のアルツハイマー病患者に投与していると、認知症状の改善効果が見られたことを多数例報告しています。その機序としてHenekaらは、ピオグリタゾンは、アルツハイマー病のモデルマウスで、β-アミロイドの蓄積を防ぐ効果があること、β-アミロイドの前駆体APPの切断酵素であるBACE1の発現を低下させる直接効果があることを報告しています。そのため、最近、インクレチン関連薬であるDPP-4阻害薬やGLP-1受容体作動薬と、ピオグリタゾンの併用は、糖尿病のアルツハイマー病予防に、非常に効果的な組み合わせではないかと言われているわけであります。
一方、アメリカでは、アルツハイマー病の新たな治療法として、経鼻インスリンが有効であることが話題になっています。経鼻インスリンとは、従来開発されていた吸入インスリンとは全く異なるもので、経鼻ルートから噴霧で投与されるインスリンの投与方法のことです。糖尿病のアルツハイマー病患者においては、末梢は高インスリン血症になっていますが、逆に、脳内へのインスリンの取り込みは落ちており、脳内インスリンの不足状態になっていることが明らかになっています。この不足している脳内インスリンを補えば、アルツハイマー病が改善するのではないかとの発想です。経鼻から投与しますと、経鼻と脳の間には、血液脳関門がないことから、高濃度のインスリンを脳内に移行させることができます。また、経鼻からのインスリンは末梢には移行しませんので、低血糖を起こすことがないことが分かっています。実際、109名のアルツハイマー病患者に、経鼻インスリンを投与すると認知症状の改善効果が見られたこと、脳脊髄液中のtau/Aβ42比も低下がみられたがアルツハイマー病の権威のあるAAICAD学会で報告されています。また、Craftらを中心とするアメリカの多施設共同研究で、アルツハイマー病患者に、経鼻インスリンを投与すると、低血糖を全く起こすことがなく、認知症の進行を遅らせることが出来たことが最近の論文で報告されています。日本にも、是非、この経鼻インスリンが早く入ってきてほしいですね。
これらのDPP-4阻害薬、GLP-1受容体作動薬、ピオグリタゾン、経鼻インスリンによるアルツハイマー病の改善効果は、まだまだ、研究レベルのものであり、臨床的に確立された治療法ではありません。では、現在、誰にでもすぐにできるアルツハイマー病の治療法はないのでしょうか?実はあります。糖尿病、高血圧、高脂血症などの生活習慣病の改善と、食事療法、運動療法がアルツハイマー病の発症予防、進行を食い止めるために有効であるという話が最近多く出てきています。糖尿病、高血圧、高脂血症などの生活習慣病が、アルツハイマー病の発症と密接に関係していることが分かってきており、それらを若いうちからしっかり管理することが非常に重要であるということです。
また、食事療法も非常に重要です。アルツハイマー病発症を防ぐためには、肉類や乳製品はできるだけ避け、魚介類や野菜・果物を豊富にとることが重要であると言われています。魚介類に豊富に含まれるω-3脂肪酸や、野菜・果物に豊富に含まれている抗酸化物質が脳神経細胞を守るのに非常に役に立つというわけです。実際、地中海沿岸地方には、アルツハイマー病の発症率が非常に少ないことが示されており、魚介類や野菜・果物を豊富にとる地中海料理のスタイルの食事がアルツハイマー病予防には非常に良いことが分かってきています。
また、有酸素運動をすると、β-アミロイドの分解を促すネプリライシンが増えることが分かっており、運動習慣、特に、有酸素運動を積極的に行うことが、β-アミロイドから脳神経細胞を守るのに非常に重要と言うわけです。また、計算やパズル、インターネット学習などで、頭を使うと認知症の改善効果が見られること、ストレスもアルツハイマー病の発症と密接に関係しており、ストレスを減らす努力をすること、リラックスする時間を多くとること、特に、瞑想するリラックスの仕方が、脳を活性化し、アルツハイマー病には非常によいことも分かっています。
実際の話としてこのような話があります。100歳を超えた双子の姉妹として有名だった「金さん、銀さん」を覚えていますでしょうか?銀さんは亡くなりましたが、死後に検体として提供され、解剖されています。驚くことに、脳内にアミロイド斑が出来ていたにも関わらず、アルツハイマー病を発症しなかったそうです。銀さんは毎日魚を食べていたそうです。脳の神経細胞が炎症を起こしたとしても、魚に多く含まれているω-3脂肪酸が修復することが分かっているため、魚を毎日食べていた銀さんは、そのためにアルツハイマー病を発症しなかったのではないかとも言われています。つまり、アルツハイマー病の脳内変化が起きていても食事・運動療法を工夫し、生活習慣病をしっかり管理すれば、アルツハイマー病の発症阻止、あるいは、発症を遅らせることが出来るかもしれないわけです。
その意味では、アルツハイマー病の脳内変化は20年以上前から既に始まっているため、若い時期から、危険因子としての生活習慣病の管理をしっかりすることが、将来のアルツハイマー病の発症率を大きく下げることに繋がるのではないかと言われています。生活習慣病の管理であれば、一般開業医でも十分にできる事であり、現在は、専門医でない一般開業医による、将来の認知症予防を見据えた生活習慣病のより積極的な管理が求められています。